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中学校教員を辞めて知的障害児養護学校教員に転身したのは、9年前です。そこで出会った新たな同僚とそのチームは当時私が求めていたものを現実化していたチームでした。そのことに私は、感動し救われた思いがしました。そして、何よりも自分の人生において初めて出会った重度の知的障害のある子どもたちとの毎日の学校生活、その仕事そのものに救われたと感じたのでした。
「苦痛」は、解消したのです。
しかし、現実は、そんなに甘くはありません。私が、そのチームと出会ったことに感動しているということ自体が、やはりめずらしいということだったのです。現在の学校世界においては、稀有な一体感のあるチームでしたが、逆にその一体感を生む同僚性の強さ(関係の濃さ)は、受け入れがたいと感じる人の方が多く、校内人事では、配属希望者が少ないということがありました。養護学校には、私のような少数派教員が中学校などよりは多く存在するということはあっても、私が「苦痛」に感じる状況は同じようにあることもすぐにわかりました。
転身10年目の今年、長年仕事を共にしてきた同僚は次々に去りました。そして、チームのリーダー役を担って4年目になりますが、今また、少数派教員としての「苦痛」を感じるあの感覚がよみがえりつつあることを感じ始めています。
私が自分の中に生じさせてしまう「問題」は、ここでも同じなのだということです。
メモ「何が問題なのか〜転機と判断する理由」より
こだわらないほうがいい。学校、先生がそんなに引き受けることはない。働きすぎはいけない。それをまわりに押し付けるようなことはもっとよくない。教員が、何かの目標に向かって団結するなんてことはないし、そんなことは息苦しい。むきにならないで、手を抜くこと、抜けること、それができれば、結果としてそれがいい教育になったりするもんだ。
そんな雰囲気があり、またその理論を語るリーダーもいる。そう言うことは、簡単だし、そのように生き方を定めることができれば、楽だなと思う。実際、私の中にだってそう思う自分もいる。しかし、問題は、そういうことば(理論)では、私は、自分を支えられないということなのだ。
やはり、私は、一人ではなく、少なくても日常的に仕事をする仲間との交流の深まりの中で、ともに何かを「創造」しているという実感が欲しいのだ。それが、今得られないのだ。だから、虚しいのだ。
何を求めているのか?
現時点での結論。仕事の中身を変えることが、将来の自分のために必要だ。これまでの「成果」は、いったん捨てて、新たな自分作りをしたい。
1.基本的に、生真面目に努力してしまう私の性格を後ろめたく思い、変えようとするのではなく、もう少し、素直に率直な形で生かしていける仕事がしたい。
2.自分の労働が一日一日誰かの、何かのために役立っていると、実感ができる仕事がしたい。教員を続けるなら、間接的に得た情報や知識をもとに話術や技術で仕事をする(社会科)のでなく、「生きていくこと」そのものに直接向かい合うような仕事がしたい。日々、自分自身の身体とこころの力でかかわる仕事をしたい。
3.最大の願望は、毎日の仕事の中での孤立感、不安感、切迫感、焦燥感、徒労感を減らしたいということ。「自分の力を尽くすことが、役立っている」という実感が得られるような日々を送りたい。そして、休みの日を、心から休める、次の日からの充電とできるような安定感を得たい。ということだ。
私の、メモは、ここで終わっています。1994年3月1日と記録があります。
そして、その後、4月1日養護学校小学部(高学年)教員へ「転身」しました。
2003年の今年、私は、その学校で10年目を迎え、同じ小学部で担任をしながら学部長という役割を担っています。
この「辞めた理由」シリーズは、今回で終了し、次回からは、現在の私の視点で、感じ考えることを、書いてみたいと思います。
「教育情報新聞」編集委員 藤掛紳一
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