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人は誰しも、その絶えざるいのちを内に抱いて生きている。
「いのちの道」は、けっして絶えないのさ。
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山があって、山と山のあいだには谷がある。
谷には山に降った雨が集まり、雨は谷川となってやがて平地を潤し、そこに生きるすべてのいのちあるものたちを養う。このように、自然によっていのちが永らえる仕組みは絶えることがないんだよ。
それが天地自然のありのままの姿なんだ。
そしてこの営みはいつまでも続き、命が絶えてしまうことはない。今、人は誰しも、その絶えざるいのちを内に抱いて生きている。「いのちの道」は、けっして絶えないのさ。
かつて人類は大陸にあった、穏やかな内海に生きていた。長い時をこの海辺に生きたんだ。そこで人は猿人の毛を脱ぎ、そして海辺を立って歩くようになっていった。
貝を食べた口には貝の色素が鮮やかにつき、唇に色をつけていることが生きていることの証だった。そして貝を採ることが生きることそのものとなって、貝はのちにお金となったんだよ。
そうして海辺でのことは人のいのちに記憶として刻まれ、その貝を堅く守ることから「賢」の観念がつくられ、そして賢者は今に至る経済をつくり出した。
しかし賢ばかりをことさらに貴んでばかりでは、社会は混乱して悲惨な結果となるだろうね。「いのちの道」は絶えないけれど、人と人の作り物が絶えないとはいえないよ。
天地も「聖人」も、人の世界の「仁」には無関係さ。でも、その働きは苗のようにいろいろな音を奏でて、動きを止めることはないんだよ。
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