笑みませる 進翁の遺影 梅雨の蝶
この詩に相和すように、父親の似顔絵が優しく家族を見つめています。
すでに他界してから九年の歳月が流れましたが、体調を崩した後描いていただいた似顔絵のような穏やかさからは到底想像できないくらい、若い頃の父親は厳格そのものでした。
生来の生真面目一徹さに加え、数度の戦争経験がさらに拍車をかけ、容赦なく鉄拳が飛んでくるような厳しさでした。
そんな中で育ってきた私ですが、時たま見せる得意顔で昔の話を聞かせてくれる優しさや、何にでも挑戦するチャレンジ精神が何とも言えず好きでした。
昭和40年、私の一世一代の懇願を「頑張ってこい」の一言で片付けてくれた親父に見送られ、私は埼玉大学の学生として第一歩を踏み出しました。
家からの仕送りと塾の講師のバイト金が生活の糧で、遊興費は不定期のバイトで捻出する苦しくもあり楽しくもある日々でした。
忘れもしません!
成人式の日に、私にとって一生忘れることのできない出来事が起きたのです。
お正月も秩父に帰らず、大宮郵便局の夜間勤務アルバイトとして頑張り、2万円近いお金を稼いだのですが!(大学の寮の1日の食事代が130円という、35年も前の事、2万円という貨幣価値は、今とは比べものにならないくらい高価)それが、それがです。
きちんとしまっておいたのに、そっくり盗まれてしまったのです!
うそ!まさか!もしかしたら?寝ても起きても、その事で頭が一杯です。
「そういえば、俺がいない時にあいつが部屋にいたな?」こんなことまで…。
私が、これ以上落ち込めないくらいの悲壮な顔で故郷秩父、そして我が家へ帰ってきた時のことです。
既に友人から事の一部始終を知らされていた親父は、私を座らせてこう言ったのです。
「久雄、お金を盗まれたんだそうだな。せっかく苦労して稼いだ金なので、さぞかしガッカリしたと思う。だけど、いいかガッカリしている気持ちは分かるが、人を絶対に疑うな!金は稼げば元に戻すこともできるけど、一旦崩れた人と人との信頼関係は、決して元に戻らないからな!」
そして、紙袋を差し出しながら、「久雄が盗まれた金には及ばないが、これを持っていけ」と、精一杯の笑顔をつくりながら言ってくれたのです。
私は、突然の親父の言動に一瞬戸惑いましたが、それは、人間不信から人生行路を大きく踏み外そうとしていた自分を取り戻させてくれた、優しく温かい天の声でした。
あの時の親父の忠告がなかったら、多くの友を失っただけでなく、今の私はなかったかもしれません。
私にとっては、怖く厳しい親父でしたが、反面、私のことを真剣に可愛がってくれ、人生の厳しさと温かさを教えてくれた最高の『おやじ』でした。
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