●教室から
 現職の中学校教師が生徒の成長の様子や学級での出来事を、柔らかいタッチで描く。中学生が見せる思わぬ素顔に、心が癒される。
▼2002年1月31日掲載
「おたく」
 成沢君は、大の鉄道好きである。修学旅行のグループ行動を計画する時、彼が所属したグループの計画表は「完璧」であった。途中のアクシデントを想定し、複数のパターンを考えてきた。計画表を見た出入りの旅行代理店が驚き、彼のアイディアを営業の企画に生かしたいと言ったくらいである。彼が国語で松尾芭蕉の「奥の細道」を学習した時は、さらに驚かされた。芭蕉の行程を現在の交通機関を利用したらどうなるかというレポートを作り上げたのだ。そこには芭蕉が訪れた名所旧跡を見学する時間が確保されていたばかりか、食事場所のガイド、経費までが細かく記されていた。

 岡さんは、漫画好きである。漫画が嫌いな中学生はいないが、彼女の「好き」は次元が違う。それこそ手塚治虫の「火の鳥」から今流行の恋愛物まで、ほぼ全部を読破していた。昭和36年生まれの私と対等に漫画談義ができた。しかも、彼女は作者ごとにタッチを変えて、模写することまでできた。

 さて、彼、彼女が周りから何と呼ばれるかと言えば「おたく」となる。その言い方には、どこか侮蔑的な響きがある。流行の音楽やバラエティー番組やゲームには、あまり興味を示さない彼らを「自分達とは違う人種」であるかのように見なし、「おたく」と呼ぶ。成沢君がいくら見事な旅程表やレポートを作っても、岡さんが、あっという間に何も見ずに美少女のイラストを描いても、自分達とは異なるものに関心を寄せる者に対して、排他的になる。それが日常の言葉の端々に出る。

 成沢君が生活ノートに「なぜ鉄道好きだというだけで馬鹿にされなければならないのか」と書いてきた。私は学級全体にこう言った。「『おたく』と呼ばれる程、君達には夢中になれる何かがあるのか。夢中になれるものもなく、ありきたりな日常を過ごしているだけではないのか」と。岡さんがノートに綴ってきた。「先生、ありがとう」。「おたく」と呼ばれる若者は社会性が欠如していると言われる。問題の本質は、夢中になれる何かを掴んだ人間の社会性を奪う嫉妬心と、排斥することで安心感を得ようとするゆがんだ精神ではないのか。 (熊)
過去の掲載
「忘れられない出来事」 (2002年1月15日掲載)
「ボランティア」 (2001年12月20日掲載)
「実感先生」 (2001年12月5日掲載)
「保護者会」 (2001年11月16日掲載)
「恋」 (2001年11月7日掲載)
「学校行事」 (2001年10月22日掲載)
「登校日」 (2001年10月5日掲載)
「想像力」 (2001年9月19日掲載)
「学級に彩りを」 (2001年9月6日掲載)
「班のない学級」 (2001年8月21日掲載)
「重く苦しい日々」 (2001年8月1日掲載)
「手」 (2001年7月11日掲載)
「失敗」 (2001年6月11日掲載)
「道徳の授業」 (2001年5月21日掲載)
「学級通信」 (2001年5月7日掲載)
「ちょっといい話」 (2001年4月11日掲載)
「秋懐」 (2001年3月13日掲載)
「柵」 (2001年2月5日掲載)
「秋は夕暮れ」 (2000年12月20日掲載)
「ワイン色の夜」 (2000年11月27日掲載)
「旅の途中」 (2000年9月22日掲載)
「心のすれちがい」 (2000年9月5日掲載)
心もよう (2000年8月25日掲載)
つかの間 (2000年8月9日掲載)
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