成沢君は、大の鉄道好きである。修学旅行のグループ行動を計画する時、彼が所属したグループの計画表は「完璧」であった。途中のアクシデントを想定し、複数のパターンを考えてきた。計画表を見た出入りの旅行代理店が驚き、彼のアイディアを営業の企画に生かしたいと言ったくらいである。彼が国語で松尾芭蕉の「奥の細道」を学習した時は、さらに驚かされた。芭蕉の行程を現在の交通機関を利用したらどうなるかというレポートを作り上げたのだ。そこには芭蕉が訪れた名所旧跡を見学する時間が確保されていたばかりか、食事場所のガイド、経費までが細かく記されていた。
岡さんは、漫画好きである。漫画が嫌いな中学生はいないが、彼女の「好き」は次元が違う。それこそ手塚治虫の「火の鳥」から今流行の恋愛物まで、ほぼ全部を読破していた。昭和36年生まれの私と対等に漫画談義ができた。しかも、彼女は作者ごとにタッチを変えて、模写することまでできた。
さて、彼、彼女が周りから何と呼ばれるかと言えば「おたく」となる。その言い方には、どこか侮蔑的な響きがある。流行の音楽やバラエティー番組やゲームには、あまり興味を示さない彼らを「自分達とは違う人種」であるかのように見なし、「おたく」と呼ぶ。成沢君がいくら見事な旅程表やレポートを作っても、岡さんが、あっという間に何も見ずに美少女のイラストを描いても、自分達とは異なるものに関心を寄せる者に対して、排他的になる。それが日常の言葉の端々に出る。
成沢君が生活ノートに「なぜ鉄道好きだというだけで馬鹿にされなければならないのか」と書いてきた。私は学級全体にこう言った。「『おたく』と呼ばれる程、君達には夢中になれる何かがあるのか。夢中になれるものもなく、ありきたりな日常を過ごしているだけではないのか」と。岡さんがノートに綴ってきた。「先生、ありがとう」。「おたく」と呼ばれる若者は社会性が欠如していると言われる。問題の本質は、夢中になれる何かを掴んだ人間の社会性を奪う嫉妬心と、排斥することで安心感を得ようとするゆがんだ精神ではないのか。 (熊) |