ある年、生徒の保護者の方から、配布した資料中に遣われた言葉に関してのお小言を頂戴したことがある。それはプールの時季に体育の先生が「入水カード」なるものを発行し、家庭での検温その他の事項を家庭で記録し、その日にプールに入っても良い場合には保護者が押印するというものだ。
その保護者に言わせれば、「入水」と言えば「水に身投げをして自殺をする」という意味であり、とてもそうした意味を有するカードに親がそれを認めると言った押印は出来ないと言うのだった。そうした本来の意味も知らずに安易に「入水」等という言葉を使用するものではないというご指摘であった。つまり、学校はそうした常識的な意味合いも知らない人々の集まりが児童・生徒を指導しているのかと言わんばかりの強いご指摘であった。
しかし、文部省が発行している『学習指導要領』の解説書である各教科ごとの『指導書』を開いてみると、保健体育科では、しっかりと「入水」という言葉が遣われているのだった。したがって、学校で「入水」という言葉を使用することには文部省から見れば何等問題はなく、むしろ正確な言葉を使用しているということになるというのが体育科の先生方のご意見であり、この言葉を使用することに間違いはない旨校長からその保護者に伝えて欲しいという要望が来たのである。
そこで、私は、一般のご家庭の皆様方のすべてが『学習指導要領』やその『指導書』に目を通しているとは考えられない。つまり、学校でいう「入水」とは世間一般ではやはり「水に身投げをして自殺をする行為」と受け止めても仕方がないのではないかと先生方にカードの名称を変えるように指導したのだった。幸い素直な先生方だったものだから、その場で了承し、「入水カード」ではなく、「プール学習カード」と変更したのだった。
ただ、そのままであると、保護者の方に、先生方が常識に欠けた存在として映ってしまうとも考えられたので、教育の世界では「入水」は身投げの意味ではなく、単純に水に入ることを指し、それは文部省でも使用している正式な用語である旨をお伝えしたのであった。
このようなケースは学校の中にはたくさん見られるように思う。
たとえば、「ご父兄」等という言葉が未だに遣われていたりもするが如何なものだろうか。或いは、「下駄箱」等という言葉も未だに通用している。今時下駄履きで登校する児童生徒も、また、来校者も滅多にみかけないではないか。
中には誰も疑うこともなく「学校長」という言葉がきわめて普通に口にされている。或いは、教育委員会の文書等にも登場している。現行の教育関係法令の中には、「校長」という文言は登場するが「学校長」という言葉は一つも登場しないのである。「学校長」という文言は、戦前の法体系の中にしか見られないのである。にも拘わらず、学校にお邪魔をすると、「許可なく・・・・・を禁止します。 〇〇学校長」等という看板を見かけたりすることが多い。また、卒業式などにおいても「学校長、式辞。」等と司会の先生が大きな声で述べたりもすることは珍しくない。だが、学校とは正しい知識を児童生徒に与えるということも大切な業務内容と考えた場合には、これも如何なものかと思えるのである。また、そうした不的確な文言を学校が使用していたとした場合には、教育委員会ではそれを指摘して正しい文言を使用すべく指導することも大切な仕事と言えないだろうか。だが、その教育委員会自身の文書に「学校長」と言うような不的確な文言が見られるとなるとこれまた論外ということにもなろう。
さらに、もう一つだけ事例を挙げてみれば、「卒業式」が正しいのか、それとも「卒業証書授与式」が正しいのかといった議論が校長会で為されてみたりしたこともある。これは、職員団体に加入している先生方としてみれば、「卒業式」とは、生徒並びに先生方全員の主体的な行動として行われる行事であるとして、「卒業証書授与式」となると、校長の主催による行事となってしまうということになるのである。それに対して、校長としての立場からは、まるでその反対の考えから「卒業証書授与式」という言葉に固執するのである。そして卒業式当日の校門前には大きな立て看板に『卒業証書授与式』等と書かれていたりもするのを見かけたことのある人は多いのではなかろうか。ある校長会の席上で、それは、正式には「卒業証書授与式」ではなく「卒業式」ではなかろうかと述べたところ居合わせた校長先生方から白い目で見られてしまったことがある。しかし、上述の「学校長」のケース同様に、現行の法体系の中では「卒業式」という文言を目にすることは出来ても「卒業証書授与式」
という文言を発見することはないのである。
いずれにしても、重箱の隅をつついたようなことばかりを列挙したが、しかし、こうしたケースは学校の中には山ほどあるのではなかろうか。
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