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「子どもの立場に立つ」ということが、教育指導法改善の旗印にされている。だが、「子どもの立場に立つこと」は、思いのほか難しい。
高知県では子ども達に授業の評価をしてもらう、「授業評価システム」を導入している。子どもに授業を評価させることについて、当初は教師の反対の声も聞かれた。だが、「子どもに評価をしてもらったおかげで、学ぶ側にしかわからないことがあると気付いた」、という感想が教師の口から聞かれはじめた。「学ぶ側」とは即ち、子どものことである。子ども達に授業を評価してもらうことで、「子ども達の想い=子どもの立場」を教師が感じ取り始めたのだ。
医師の仕事では診断が治療の重要な部分を占める。病状や体質に合った治療を施さなければ、治療の効果も上がるまい。風邪の患者に心臓病の薬を投与しても意味はないのだ。医療であれば誰もが常識と感じることが、教育となるとそうでもないらしい。 「子どもの立場」を特段理解しようとせず、「子どもの立場に立った」学習指導の改善を図ろうということは、病状を把握せずに薬を出そうとすることと同じだ。
子どもを理解するということは、子どもを理解する手法を手に入れることではない。子どもを理解しようとする教師の心の姿勢が、子どもの理解を可能にする。
子どもの姿は、それを見ようとする人にしか見ることはできない。見えるか見えないかは、あなた次第?
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