●授業を創る
教えるとはどういうことか、良い授業とは何か。学習理論の歴史を振り返りながら今の授業に生かすコツをわかりやすく解説。これを読めば授業が変わる。

▼2001年6月8日掲載
「気概と技法をもて」
▼「授業を創る」とは、自分の授業、我こそはの授業をすることと心得る。しかし、唐突にいい授業が生まれてくることはあまりない。いくら「我こそは」と言っても、でたらめや付け焼き刃、真似、思いつきは子ども達を惹きつけない。そこには、基礎基本があり、作法がある。見れば一目瞭然、授業の善し悪しは分かる。発問があり、板書があり、資料提示があり、あるあるだらけの集大成で授業は創られる。創るための糧として、この紙面で○○学習を学ぶことの提案をしたつもり。でも世の中、○○学習が沢山あって、とても全部とはいかない。ほんのいくつかの紹介になった。

▼バス旅行で帰りの時間になると、ビデオをかけてくれる。寅さんシリーズものはよく見る。だいたいの筋書きは、ぶらりと寅さんが帰ってくる。マドンナへの片思いの恋が芽生える。最後は、また旅に出る。この次はどんな物語になるだろうか、と余韻を残す。水戸黄門のテレビは楽しい。どんなに悪者がはびこっても、放送の最後10分が見物だ。もう間もなく「この印籠が目に入らぬか」を期待してドキドキする。ドラマの流れは承知であっても面白い。いや、分かっているから面白いのかも知れない。ドラマは、それぞれパターンを持っている。しかし、1回1回が真新しいドラマである。ワクワクして見られる。きっと作者は視聴者よりもっとワクワクして作っているに違いない。

▼自分の授業は、自分の授業のパターンを創ることだ。これが、創るということだ。そのパターンにどんなドラマをのせるか、ここに授業の技法が必要になってくる。いくらワクワク創っても、授業を創る基礎基本がなければ、ワクワクした授業にはならない。このパターンを創るのに、いろいろな○○学習の勉強は役立つ。

▼最近の新聞広告に、「プログラム学習によるパソコン攻略」というのがあった。プログラム学習は、この欄で以前取り上げたが、義務教育学校の教室では、現在は見られなくなったし、もし今、実践校があったとすると、詰め込みだとか、知識偏重だとか、時代錯誤だとかのご批判を浴びるのが精々である。ところが、世の中には立派に通用する学習の方法なのだ。目標の明確化のこと、目標分析のこと、緻密なスモールステップの原理、即時確認の原理などなど、授業を創る上の糧にしてもらいたい。

▼「俺は俺」というのが創る上でもつ気概だが、どっちの目もふさいでしまって、「俺は俺」という人がいる。反対に、創る気概はないが、やたらと人の真似や流行に乗ろうとする人がいる。上面の小手先の技法だけを真似た授業だ。

▼授業の基礎基本のない人が授業を創ったといっても、それは名ばかり。創ったつもりでも、それは授業を創ったのではなくて、授業とは似て非なる授業ごっこ程度のことである。迷惑なのは、子ども達が、先生のごっこ遊びに無理矢理付き合わされる羽目になることである。ところが、最近この手の授業がはびこっている。ゴキブリなら殺虫剤を撒くし、風邪の予防ならワクチンという手があるが、「俺が」「俺が」の似て非なる授業の蔓延を食い止める、何かいい薬はないものか。

▼授業を創るには、気概と技法を持ち合わせなければ生まれてこないが、残念ながら、ちぐはぐの先生がいる。気概と技法を、ビジョンとプロジェクトと置き換えてもいい。21世紀へ向けて、「俺ならでは」の新しい○○学習が生まれることを期待しながら、このコラム完。   (T)
過去の掲載
「何でも学習し、唯一の授業を創る」 2001年5月21日掲載
「ポートフォリオ学習と評価A」 (2001年5月7日掲載)
「ポートフォリオ学習と評価@」 (2001年4月11日掲載)
「授業の良し悪しを明確に」 (2001年3月13日掲載)
「楽しい授業を求めて」 (2001年2月5日掲載)
「仮説実験授業を振り返る」 (2000年12月20日掲載)
「授業を設計する」の考え (2000年11月27日掲載)
「良い授業のイメージ」 (2000年10月30日掲載)
「授業を創る先人の知恵 『生活単元学習』 (2000年9月22日掲載)
「いつかきた道」ではなく「はじめての道」切り拓け (2000年9月5日掲載)
「いい授業はいいイメージから・自分なりのイメージづくりを」 (2000年8月25日掲載)
これからの授業を考える (2000年8月9日掲載)
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